和歌山「アロチ」とは?名前の由来から花街・歓楽街になった歴史まで
「アロチ」は、和歌山市のJR和歌山駅西側に広がる繁華街の通称です。この記事では、正式町名との違いや名前の由来を紹介します。どういうお店があるのか、働いてみたい人向きに求人を見る際の確認点も紹介します♪
アロチは和歌山市のどこにある?
地図でアロチを探すとき、手掛かりになるのが正式町名の「新内」です。和歌山県和歌山市に実在する町域で、読みは「あろち」です。郵便番号は640-8351です。
和歌山市の公式では、アロチはJR和歌山駅の西側に位置する駅周辺エリアとして紹介されており、新内~北ノ新地~友田町西部の総称として使われています。柳通りは、アロチの主要な通りです。 バスの時刻表でも、JR和歌山駅の次に「新内」、その次に「北の新地」の停留所が並びます。
柳通りの目立つ位置にローソン和歌山アロチ店があるので、そのあたりがアロチの中心地だと思って大丈夫です♪
アロチという名前の由来
1295年(鎌倉時代)の文書には、この地域の坪名として「南アラウチ」「北アラウチ」「北アラ打」「荒打」という名称が使われていました。当時の「荒打」の読みは「あらうち」です。
室町時代から江戸時代にかけて、地元の人々の間で「あろち」に変化していきました。「あらうち」の「あらう(au)」という母音の連続が、和歌山の言葉の癖によって「あろ(o)」に変化し、最終的に「あろち」という呼び名が定着したと考えられています。
1619年(江戸時代)に徳川頼宣(紀州徳川家)が和歌山城に入ると、城下町の本格的な大開発が始まり、地名の漢字が改められました。城下に隣接する重要な地の名称としては「荒打」という漢字のイメージが悪かったため、「新しく城下の内側(領内)になった場所」、あるいは「新しく開墾されて(新地を意味する)、内側にできた集落」という意味を込めて、縁起の良い「新内」という漢字が新たに当てられ、新内村(あろちむら)となりました。
1889年(明治22年)には、市制・町村制が施行され、新内村は周辺の村と合併し「宮村」となりましたが、新内村は「宮村大字新内」という名称で存続しました。
1927年(昭和2年)に宮村が和歌山市に編入された際も、この大字は引き継がれ、「和歌山市新内」となりました。
戦後、かつての広大な農村だった「新内」の大部分は、和歌山駅前の発展に伴って「美園町」や「友田町」といった新しい町名に細分化されていきましたが、現在も和歌山市新内という単独の町名はそのまま地図に残り、その一帯の歓楽街を「アロチ」と呼ぶ名残は今も根強く残っています。
夜の街として発展した歩み
上述のとおり、新内(アロチ)は古来から続く地名です。
もとは農村だった新内村でしたが、江戸時代末期の1830年、和歌山城下で大火(大規模な火災)が発生し、これにより、新内(アロチ)とは別の場所の盛り場や茶屋街が焼けてしまいます。復興にあたって紀州藩は、区画整理するため、「お酒や娯楽を扱う店は、城下町の外側の広い場所へまとめて移転させたる!」と決定しました。その移転先として白羽の矢が立ったのが、すぐ隣で土地が余っていた新内村(厳密には隣接する北ノ新地周辺)でした。
さらに1898年(明治31年)、新内のすぐ近くに「紀和駅(当時は和歌山駅)」が開業。1903年(明治36年)には南海電鉄の「和歌山市駅」も開業します。それまで和歌山の物流や人の移動は「川や海(水運)」が中心でしたが、一気に「鉄道(陸運)」へとシフトしました。新内村は、「新しくできた駅から、和歌山の中心街(ぶらくり丁やお城)へ向かう大通り」の通り道になり、人通りが爆発的に増えたため、元々は田んぼだった道路沿いに、遠方からの旅人やビジネス客をターゲットにした飲食店や旅館、そしてお座敷(茶屋)が急速に立ち並ぶことになりました。
ただし、当時の和歌山では「公娼制度(国が認めた遊郭の制度)」への反対運動が非常に強く、和歌山市内には公認の「遊郭(吉原や京都の島原のような場所)」が作られませんでした。なので、新内(アロチ)で発展したのは、「芸妓による歌や踊りの芸能を中心とした上品な花街」でした。 大正から昭和初期にかけては、新内(アロチ)周辺の夜は三味線の音が響き、着物姿の芸妓たちが行き交う、非常に風情のある「大人の社交場」だったと言われています。
とくに大正期にかけて、近くに現在のJR和歌山駅(当時の東和歌山駅)が開業したことで人通りがさらに激増します。これに伴い、新内周辺には政財界の人間や地元の旦那衆が集まるような高級料亭や貸座敷(茶屋)、そして彼女らを抱えるお茶屋(置屋)が次々と建ち並ぶようになりました。
つまり、「火事による藩の立ち退き計画」×「鉄道開通によるバブル」×「遊郭がダメなら芸妓の街を作ろうという地域事情」という3つの要素がガッチリ噛み合った結果、農村だった新内は、和歌山きっての華やかな花街へと大化けすることになりました。
そして、戦後の復興期にスナックやバー、ラウンジといった現代的な夜の街へと形を変え、現在の「和歌山最大級の歓楽街アロチ」へと繋がっていったのです。
現在も、地域の飲食店などが中心となるアロチ活性化委員会による清掃活動などが実施されており、新内(アロチ)地区の地域活性化の取り組みもあります。
もう一つの裏の顔:「天王新地」について
新内(アロチ)が芸妓文化を中心とした表の華やかな花街だった一方で、すぐ近く(現在の紀和駅周辺)には、明治時代に置かれた陸軍の歩兵連隊をきっかけに生まれた「天王新地(てんのうしんち)」という私娼窟(国に非公認の、いわゆる色街)が形成されていました。
歴史的に見ると、和歌山市の夜の文化は以下のように住み分けられていました。
- 新内(アロチ):芸妓や茶屋、高級料亭が中心の、格式高い「芸の街」
- 天王新地:兵士や大衆向けの、性産業を中心とした「色街」
ですが、1945年(昭和20年)7月の和歌山大空襲によって街は一度、すべてが焼け野原になってしまいます。 戦後はいち早く復興し、GHQの政策によって「赤線(あかせん:政府が事実上、売春を認めた地域)」として再び営業を再開しました。
しかし、1958年(昭和33年)4月1日をもって全国一斉に施行された「売春防止法」をきっかけに日本全国の赤線地帯はすべて法的に営業ができなくなり、天王新地も例外ではなく、この日を境に転業か廃業の選択を迫られ、街としての機能は完全に停止しました。
現在の和歌山市湊(天王通り周辺)には、かつての色街の面影はほぼ残っていません。当時の細い路地や、転業した古いアパート・民家が一部に残るのみで、現在は静かな住宅街に生まれ変わっています。
アロチにはどのような店が集まる?
和歌山県警察は、アロチ地区を和歌山最大の歓楽街と説明しています。 具体的には以下のようなお店が密集しています。
ナイトレジャー・社交の場(エリアの主力)
アロチのビルには、夜の社交場となる店舗が数百軒単位で入居しています。
- スナック・パブ: 初見でも入りやすいアットホームな店から、老舗まで多数あります。
- ラウンジ・クラブ: 出張時の接待や、落ち着いた雰囲気で飲みたいときに使われる高級感のある店舗です。
- ガールズバー・コンカフェ: 若者を中心に、カジュアルに楽しめるバーも増えています。
1軒目に使える飲食店
お酒と食事をメインに楽しむ、夕方から開いているお店も豊富です。
- 海鮮居酒屋: 和歌山近海(雑賀崎や加太など)で獲れた新鮮な魚介を出す名店が集まっています。
- 焼肉・焼き鳥店: 地元の銘柄鶏や、深夜までがっつりお肉を食べられる実力派の店が多いです。
- オーセンティックバー: 静かにウイスキーやカクテルを味わえる、大人の隠れ家的なバーも点在しています。
深夜の「締め」グルメ
お酒を飲んだ後の胃袋を満たす、深夜営業のカルチャーが根付いています。
- 和歌山ラーメン店: 「丸高中華そば」をはじめとする、醤油ベースの濃厚な和歌山ラーメン(車庫前系)の名店があります。
- うどん・そば店: 飲んだ後に優しい出汁を求めて、深夜に行列ができる老舗店があります。
- おにぎり専門店: 注文を受けてから握る、夜間限定営業のおにぎり屋も人気です。
2025年に行われた警察の集中対策では、複数の営業区分を対象に立入検査が実施されました。資料に記載された件数は次のとおりです。
- 社交飲食店:172件
- 深夜酒類提供飲食店:86件
- 酒類提供飲食店:33件
※注:店舗の総数ではなく、立入検査の件数です。
遊びに行く人・働きたい人の確認点
アロチは広い範囲を指す通称なので、地区名だけでは目的地を特定できません。訪問前に正式住所と最寄りの駅や停留所を確認しましょう。営業時間や予約の要否、料金体系の確認も大切です。
求人に「アロチ」と書かれていても、勤務地の町名は新内とは限りません。北ノ新地や友田町など、周辺の住所が使われる場合があります。店までの経路と、退勤後の移動手段も確認しておきましょう。
仕事を検討する場合は、お店の業態名だけで判断しないことが大切です。ラウンジと書かれていても実態がスナックであったり、バーと書かれていても実態がコンカフェなど、多様な業態があります。また、接客方法、勤務時間、給与の計算方法を確認してください。服装や店内で担当する仕事も、店舗によって異なります。
体験入店を利用できる場合は、当日の仕事内容や条件を事前に聞きましょう。説明と求人内容に違いがないかも落ち着いて確認してください。
気になる店や求人が見つかったら、まず正式住所を地図で確認しましょう。そのうえでJR和歌山駅や柳通りとの位置関係を見て、営業時間や仕事内容を一つずつ問い合わせると、具体的に検討できます。